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愛新覚羅胤禔 : ウィキペディア日本語版
愛新覚羅胤シ

愛新覚羅 胤禔(あいしんかくら いんし、1672年3月12日 - 1735年1月7日)は、康熙帝の長男。母は恵妃のナラ氏。名は雍正帝の即位後に允禔と改めている。
== 生涯 ==
庶出子のために立太子されなかったが、才気に富み、対ジュンガル戦で活躍した。父帝の信任も篤く、多羅直郡王、鑲藍旗の旗主に封じられた。
康熙47年(1708年)、太子の胤礽(康熙帝の嫡出次男)が廃位・投獄された。胤禔は、廃太子の監視、塞外や都の治安を一任された。新太子を自認して得意のあまり、胤禔は胤礽の誅殺を扇動されると自ら進んで加担しようとした。この行動が父帝の怒りを買い、チベット僧に依頼して胤礽に対する呪詛を行ったことが胤祉(康熙帝の三男)によって暴露されると、王位を剥奪され自宅軟禁に処せられた。
雍正帝(康熙帝の四男)の時代も軟禁を継続され、雍正12年12月14日(1735年1月7日)に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「愛新覚羅胤シ」の詳細全文を読む



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