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愛新覚羅載ホウ : ウィキペディア日本語版
愛新覚羅載ホウ[あいしんかくら さいほう]

愛新覚羅 載(あいしんかくら さいほう、アイシンギョロ・ヅァイフェン、満州語:、転写:Aisin-gioro Dzai-feng)は、皇族。第2代醇親王。清朝最後の皇帝宣統帝(溥儀)溥傑の父。大英帝国ロイヤル・ヴィクトリア勲章受勲者。
==生涯==
の五男で、第11代皇帝光緒帝の弟。父の死後、世襲を許されて醇親王を襲封した。父に続いて西太后の信任を受け、義和団の乱後には公使殺害に対する謝罪使としてドイツへ派遣される。兄の光緒帝が光緒34年(1908年)に死去し、長男の溥儀が宣統帝として即位すると監国摂政王に就任して全権を掌握し、かつて光緒帝を裏切って戊戌変法を壊滅させた袁世凱を失脚させた。兄に協力して進歩派・改革派の立場にあった載灃は、革命の危機が迫るなかで、従来の軍機処を廃止して内閣制度を設置するなど改革の努力を続けたが力及ばず、辛亥革命が勃発すると、光緒帝の皇后であり皇室の家長的な立場にあった隆裕太后の命令により袁世凱に全権を委譲せざるを得なくなった。
溥儀は清朝滅亡後も皇帝の尊号を保持しつつ紫禁城に住むことを許され、載灃はその後見を続けた。しかし、1932年満州事変により日本が傀儡国家満州国を成立させ、溥儀をその元首である執政(のち皇帝)に担ぎ出した時には、前途を危ぶんでこれに反対した。その後も溥儀には従わず、もっぱら北京市内の自邸(醇親王府)に居住して、満州国とは最後まで一線を画した。このため、中国が日本との戦争に勝利したあとも溥儀のように漢奸として糾弾されることはなかった。中華人民共和国発足後も引退生活者としての生活が保障され、北京でその生涯を閉じている。
かつての醇親王府は、西側の庭園(明珠花園)がのちに宋慶齢の公邸となり、現在「宋慶齢故居」として一般公開されている。東側の邸宅部分は国家宗教事務局、厩舎と馬場は北京市第二聾唖学校に転用されているおり、清朝の大規模皇族邸がほぼ完全な形で残されている稀少な例となっている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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