翻訳と辞書
Words near each other
・ 愛甲光
・ 愛甲季隆
・ 愛甲恵子
・ 愛甲恵子 (翻訳家)
・ 愛甲氏
・ 愛甲猛
・ 愛甲石田駅
・ 愛甲郡
・ 愛甲霞
・ 愛発村
愛発関
・ 愛白もあ
・ 愛百合女学院へようこそ
・ 愛的大遊行 Live全記録
・ 愛県債
・ 愛眼
・ 愛着
・ 愛着対象
・ 愛着理論
・ 愛着行動


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

愛発関 : ウィキペディア日本語版
愛発関[あらちのせき]

愛発関(あらちのせき)とは、近江国越前国の国境に置かれた関所東海道鈴鹿関東山道不破関とともに三関の1つであった。
詳細な位置は確定していないが、福井県敦賀市南部の山間部の北陸道沿いなどにあったと考えられている。候補としては、
# 近江国からの山中越と深坂越が一つになった後に設置されたとの推定から敦賀市疋田にあった。
# 敦賀平野への出入口である敦賀市道口にあった。
の2つが挙げられる。文書の記録や発掘調査、および近年の研究により現在では敦賀市疋田が有力とされる。
==歴史==
天智天皇の頃に近江宮東国から防衛するために設けられたとされ、郡衙軍団と同等以上の規模だったと考えられる〔『令義解』 軍防令〕。天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂が反乱を起こした際には、息子のいる越前国への逃走を防ぐために関が閉じられた〔『続日本紀天平宝字8年9月18日764年10月21日)条〕。その後、延暦8年(789年)に廃され〔『続日本紀』 延暦8年7月14日789年8月13日)条〕、弘仁元年(810年)の薬子の変では愛発関を閉じた記録はなく、代わって近江国相坂関に連絡が行っており、〔『続日本紀』 弘仁元年9月10日810年10月15日)条〕、この頃には完全に廃止されていたとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「愛発関」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.