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愛知万博の入場者数問題とは、2005年日本国際博覧会において入場者の増減によって引き起こされた混乱や目標入場者数達成に対する取り組み、交通問題など、入場者数に関係した問題のことである。 計画当初の目標入場者数は、1985年の科学万博や1990年の花の万博よりも少ない1,500万人に設定された。 ==開幕当初== 2005年3月18日から3月20日に行われた関連企業・報道関係者、地元住民を対象に行われた内覧会では3日間で入場者数114,300人にのぼり、開幕前から問題視されていた交通アクセス面・食事施設面・パビリオン設備、観覧面の問題が表面化した。 食中毒やテロの防止を考え、学校の遠足など一部の場合を除いて弁当とペットボトルに入った飲み物(水筒・紙パックの飲み物は持ち込み可能)の持ち込みは禁止されており、空港での飛行機の搭乗時並みに、入場する際に係員によってバッグの中身を検査したり、金属探知機によるセキュリティチェックも行われ、それらを所持していると係員によって没収される為、厳しい非難を浴びた。このため、3月30日に小泉首相は経産省と協会に対して、持ち込み規制の見直しを指示し、2005年4月1日より自家製調理弁当のみ持ち込みは許可となった。(飲食についての項も参照)2005年6月18日よりペットボトルに入った飲み物は、ゲート前で無料配布されている紙カップに移し変える事で、持ち込むことができるようになった。 開催後3日間の入場者数は145,700人と交通渋滞などのトラブルはなかったものの、予想の45万人の3割以下の入場者数となり、万博の出足の鈍さを表した。その原因は、混雑して人気パビリオンを観覧することが出来ないと考え、来場を控える前売り券購入者が多いことだと、博覧会協会は推測した。 初の日曜日を迎えた3月27日は入場者数は56,500人と開幕後、最大の入場者数を記録したが、ささしまサテライト会場デ・ラ・ファンタジア(名古屋駅西側の旧貨物駅跡地)はポケパークの人気で約3万人、中部国際空港は約9万人が来場し、不釣り合いな結果となった。 その後、入場者数は一日平均4~5万人と目立った混雑は無いが、人気のあるパビリオンであるグローバルハウス(冷凍マンモスの展示)、トヨタグループ館、日立グループ館、長久手日本館などは整理券待ち・入場者の列で1時間以上の入場待ちになる事も多くなった。また春休み最後の土曜日であった4月9日は開幕後、最大の入場者数78,538人(開幕後からの入場者数99万1407人)を記録した。 翌日の4月10日は開園と同時に累計入場者が100万人を超えたが、博覧会協会の予想より5日遅れの達成となり、5月初めのゴールデンウィークに多くの利用者が訪れるのではないかと懸念され、当初の問題であった輸送面、観覧面等の問題再発が恐れられている。これに対し、博覧会協会はゴールデンウィーク前に万博会場に足を運んで欲しいと前売り券購入者に呼びかけた。 その呼び掛けが功を奏したのか、4月23日には開幕後初の10万人の入場者を超え、112,332人(累計入場者数206万4181人)となった。そのため3時間以上の入場待ちを要するパビリオンも多くあったが、大きな問題は起きなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「愛知万博の入場者数問題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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