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慎機論[しんきろん] 『慎機論』(しんきろん)は、江戸時代後期の三河国田原藩家老・渡辺崋山が、幕府の対外政策を批判して書いた私文書。蛮社の獄の際、崋山を断罪する根拠となる。 == 成立の経過 == 1837年にアメリカ商船モリソン号が日本の漂流民(音吉・庄蔵・寿三郎ら7人)を送還するために江戸湾に近づき、発令中の異国船打払令の適用を受けて発砲され退去させられるという事件が起きた(モリソン号事件)。その翌年に評定所記録方・芳賀市三郎が、モリソン号の渡来に関する風説と、この船に打払令を適用することを強く主張した評定所一座の答申案をひそかに持ち出し、渡辺崋山・高野長英・松本斗機蔵ら尚歯会の同志たちに示す。来航するモリソン号に幕府が撃退策を持って臨むという可能性を憂慮した崋山は、年来の対外政策への不満を含めて、『慎機論』を著したのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慎機論」の詳細全文を読む
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