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慕容恪[ぼよう かく] 慕容 恪(ぼよう かく、? - 367年5月)は、五胡十六国時代の前燕の政治家・武将である。字は元恭。鮮卑慕容部の出身であり、昌黎郡棘城県(現遼寧省義県の西方)の人。慕容皝の第4子で、兄に慕容儁、弟に慕容垂・慕容徳がいる。前燕の中原進出に大きく貢献し、全盛期を築き上げた。後世の人より五胡十六国時代随一の名将であると評された〔《陳寅恪魏晋南北朝史講演録》:貴州人民出版社,2008年 による〕。 == 生涯 ==
=== 若き日 === 幼い頃から慎み深く思いやりがあり、思慮深くかつ物怖じしない性格であった。また、子供とは思えないほどの度量の広さも持ち合わせていたという。しかし、父の慕容皝には目を掛けられず、母の高氏からも可愛がられていなかった。15歳で身長が八尺七寸(約2m)になり、雄々しい性格と武勇を持つようになり、天下の趨勢をよく論じた。この頃になると、慕容皝は彼の才器に気が付き、次第に重用されるようになった。慕容恪は一軍を与えられ、慕容皝の征伐に幾度も従軍し、戦場において奇策を交えながら臨機応変に戦い、大いに功績を上げた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慕容恪」の詳細全文を読む
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