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慧子内親王[あきらけいこないしんのう] 慧子内親王(あきらけいこないしんのう、生年不詳 - 元慶5年1月6日(881年2月8日))は、平安時代初期の皇族。文徳天皇第8皇女。母は藤原列子(藤原是雄の娘)。同母姉に晏子内親王がいる。賀茂斎院。 嘉祥3年(850年)7月9日、文徳天皇の即位に伴い、高子内親王の退下をうけて斎院に卜定。仁寿2年(852年)4月、紫野の斎院に入った。天安元年(857年)、退下。その理由は不明であるが、『古今和歌集』885番の詞書には、「母の過失」により斎院を廃されるところであったのが沙汰やみになったとある。元慶5年(881年)1月6日、無品のまま没した。 == 参考文献 ==
*芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年 *久曾神昇 訳注『古今和歌集(四)』講談社学術文庫、1983年
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慧子内親王」の詳細全文を読む
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