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慶来慶田城用緒[けらいけだぐすく ようちょ]
慶来慶田城 用緒(けらいけだぐすく ようちょ)は、15世紀後半の西表島の豪族である。 西表島南西にある外離島で生れたが、同島は土地が狭く、暮らし向きが困難だったため、西表島の祖納集落に移住した。 宮古島の仲宗根豊見親と手を結んでいたと思われ〔平地がちな宮古島では船舶用の木材を西表島から調達していた。〕、宮古島との航路の途中にあたる石垣島北端の豪族、平久保の加那按司の下女を懐柔し、その手引きでこれを攻め滅ぼした。 石垣島にも勢力を伸ばしてからは、南部の豪族、長田大主と義兄弟の契りを交わしている。1500年、オヤケアカハチの乱が平定された後、琉球王府より「西表首里大屋子」の官職を与えられた〔「八重山ジャンルごと小事典」p162 崎原 恒新 ボーダーインク、1999年8月1日〕。 子孫は錦芳氏慶田城家を名乗り、1770年頃に書かれた『慶来慶田城由来記』に、一族の事跡が記されている。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慶来慶田城用緒」の詳細全文を読む
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