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憲法義解 : ウィキペディア日本語版
憲法義解[けんぽうぎげ]

憲法義解』(けんぽうぎげ、けんぽうぎかい)は、伊藤博文著の形をとる大日本帝国憲法及び(旧)皇室典範の逐条解説書。帝国憲法のみならず、明治期の日本の思想を知る上で重要な資料である。
== 沿革 ==
伊藤博文は井上毅伊東巳代治金子堅太郎とともに憲法起草に取り組み、1888年(明治21年)憲法案と皇室典範案を完成させた。この頃、各条文に解説を加える説明書を井上毅が作成した。同年、両法案を枢密院で審議する際、この説明書を「憲法説明」・「皇室典範説明」と題して各顧問官に配布し、法案審議の参考に宛てた。その後、井上毅がこの説明書を出版することを提案し、稿本を作成した。1889年(明治22年)2月11月に憲法と皇室典範が制定された後、起草者たちと法学者数名が稿本を共同で審査し若干修正した。こうして完成した説明書は『大日本帝国憲法義解』・『皇室典範義解』と題された。このうち『大日本帝国憲法義解』は伊東巳代治によって英訳された。この英訳は欧米の学者たちに寄贈され、金子堅太郎が欧米に赴いて批評を聞いて回った。
『大日本帝国憲法義解』・『皇室典範義解』は公刊の際に、伊藤博文の私著という形で、その版権を国家学会に寄贈した。国家学会は1889年明治22年)4月24日『大日本帝国義解』と『皇室典範義解』を別々に印刷して関係者に配布し、6月1日、両義解を合わせて『帝国憲法皇室典範義解』として公刊した。英訳本(''Commentaries on the constitution of the empire of Japan'')は版権を与えられた英吉利法律学校(現中央大学)が6月23日に出版した。
その後、『帝国憲法皇室典範義解』は版を重ね、1935年(昭和10年)の増補版からは本の背中に「憲法義解」の文字を入れた。宮沢俊義が校訂して岩波文庫で出版1940年(昭和15年)、度々復刊)した際に、題名を『憲法義解』のみとした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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