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懐節蕭皇后(かいせつしょうこうごう、? - 951年)は、遼(契丹)の世宗の皇后。小字は撒葛只。 == 経歴 == 述律皇后(世宗の祖母)の弟・蕭阿古只の娘として生まれた。世宗が永康王となると、妃として迎えられ、景宗を生んだ。天禄4年(950年)、皇后に立てられた。天禄5年(951年)秋、萌古公主を生んだ。産褥にあって、耶律察割が乱を起こし、皇太后(柔貞蕭皇后)、世宗と甄皇后を殺害した。蕭皇后は歩輦に乗って、察割のもとを訪れ、遺体を収容して殯を行なうよう願い出た。翌日、蕭皇后も殺害された。孝烈皇后と諡された。重熙21年(1052年)、懐節皇后と改諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「懐節蕭皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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