翻訳と辞書
Words near each other
・ 成瀬村
・ 成瀬桜桃子
・ 成瀬櫻桃子
・ 成瀬正
・ 成瀬正一
・ 成瀬正一 (フランス文学者)
・ 成瀬正一 (戦国武将)
・ 成瀬正二
・ 成瀬正住
・ 成瀬正俊
成瀬正典
・ 成瀬正則
・ 成瀬正勝
・ 成瀬正勝 (旗本)
・ 成瀬正壽
・ 成瀬正孝
・ 成瀬正寿
・ 成瀬正幸
・ 成瀬正恭
・ 成瀬正成


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

成瀬正典 : ウィキペディア日本語版
成瀬正典[なるせ まさのり]
成瀬 正典(なるせ まさのり、寛保2年1月2日1742年2月7日)- 文政3年10月18日1820年11月23日))は、尾張藩附家老尾張犬山藩の第6代当主。
第5代当主・成瀬正泰の次男。正室は戸田光雄の娘。子に成瀬正賢(長男)、金田篤行(次男)、小浜隆庸(三男)、成瀬正壽(四男)、青山正周(五男)、娘(成瀬正邦室)、娘(成瀬正育室)。官位は従五位下、隼人正。
幼名は小吉。宝暦8年(1758年)12月、従五位下民部少輔に叙任。
明和5年(1768年)1月28日、父の隠居により跡を継ぐ。
文化6年(1809年)7月29日、家督を四男の正壽に譲って隠居し、文化7年(1810年)に剃髪して浄翁と称し、文政3年(1820年)10月18日に79歳で死去した。法号は一珠院殿自得日慶大禅定門。墓所は愛知県名古屋市中区栄三丁目の白林寺、もしくは修行寺とも言われている。
== 人物 ==

*父と同様に絵画の才能があり、丹青の技を好み、特に鷹の絵が評価された〔小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「成瀬正典」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.