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成田才次郎 : ウィキペディア日本語版
成田才次郎[なりた さいじろう]
成田 才次郎(なりた さいじろう、安政2年(1855年) - 慶応4年7月29日1868年9月15日))は、幕末二本松藩士の子弟、二本松少年隊の一人。

== 経歴 ==
安政2年(1855年)、成田外記右衛門の次男として誕生。
堀良輔の回顧によると、才次郎は10歳の頃から影流居合師範・遊佐孫九郎の居合稽古に通っていた。
慶応4年7月29日1868年9月15日)に木村銃太郎の門下生(二本松少年隊)の一人として城南大壇口へ出陣し、戦ったが破られてしまう。この際、才次郎も負傷し、一斉に退却した仲間たちとも皆ばらばらにはぐれてしまった。
その後、松坂門入口に身を潜ませ〔それまでに叔父・篠沢弦之助に出会っており、叔父は才次郎に落ち延びるよう告げたが、仲間の敵を討ってからと才次郎は聞き入れなかった。〕、白井小四郎率いる一部隊が通りかかると、白井を刺殺し、才次郎もその場で絶命した〔これには諸説あり、白井が刺殺されて激怒した長州兵に殺されたとも、捕えようとしたが刀を振るって抵抗したため銃殺されたとも、大壇口で既に重傷を負っており、力つきた等と言われている〕。白井は絶命間際、自分の不覚だからこの勇敢な少年を殺すなと部下に言い残している。享年14。
墓所は福島県二本松市大隣寺に存在し、霞ヶ城址公園には戦死の地碑も存在する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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