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成田啓二[なりた けいじ]
成田 啓二(なりた けいじ、1919年1月27日 - 1985年3月29日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手(投手)。1950年は「敬二」。 == 来歴・人物 == 米子中学校4年次の1935年、1級先輩の清水秀雄-井上親一郎のバッテリーの活躍で、一塁手として春夏連続で甲子園に出場した(ちなみに井上とは、その後、大学、ノンプロ、プロと共に過ごすことになる)。1936年は山陰大会決勝で鳥取一中に敗れる。 卒業後慶應義塾大学野球部で活躍したのち、大阪鉄道局米子に入る。シベリア抑留を経験したが、その後米鉄に戻り、1949年までプレーする。 1950年、国鉄スワローズ結成に伴い入団。球団結成初戦の開幕投手を務めたが、惜しくも敗戦投手となった。寄せ集めだった当時の戦力を考えれば、かなりの好投だったと言われる。プロ入りから初勝利まで11連敗を記録し、これは日本記録である(2007年、楽天の松崎伸吾がタイ記録となった)。 2年間で退団し大阪鉄道管理局に勤務。天王寺鉄道管理局で監督を務め、都市対抗野球大会に出場した。天王寺鉄道管理局時代の教え子に、大根晃(元大阪タイガース所属の投手)がいる。定年を迎えて地元に帰り、母校で野口裕美ら後輩の指導にあたるとともに、高校野球中継の解説者として多くのファンに親しまれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田啓二」の詳細全文を読む
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