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成田氏宗[なりた うじむね]
成田 氏宗(なりた うじむね)は、江戸時代前期の大名。下野国烏山藩の第2代藩主。初代藩主成田長忠の次男。 == 生涯 == 慶長20年(1615年)、父と共に大坂夏の陣に従軍し、功を挙げた。翌年に父が死去すると、兄の重長は早世しており、その子の房長の年齢の問題もあったため家督を継いだ。 しかし重長が病死したとき、重長の子を妊娠していると主張した女性がおり、産まれた子供を後継者に擁立しようという動きが一部の家臣団の間で生まれて後継者争いが起こった。これを幕府に咎められて、3万7000石から1万石へ減封された。 元和8年(1622年)11月7日、死去した。氏宗の死後、弟の泰直と甥の房長との間で家督争いが起き、幕府は氏宗に実子がないという理由から改易した。成田家の家伝によると、末孫の正安が元禄4年(1691年)に御家人に列し、子の正末の代に旗本に昇格し、その養子の正之は勘定衆となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田氏宗」の詳細全文を読む
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