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成田長忠[なりた ながただ]
成田 長忠(なりた ながただ/おさただ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。下野烏山藩主。 == 生涯 == 成田長泰の次男。長泰が長男の氏長を嫌って次男の長忠に家督を譲ろうとしたこともあるが、兄と争うことを嫌った長忠が身を引いたため、家督は氏長が継承した。また、叔父である小田朝興の養子となって騎西城を継いたが、天正16年(1588年)頃に養母(朝興未亡人)と氏長の嫡男が相次いで没したために、忍城に呼び戻されて兄の養子となったと言われている。天正18年(1590年)の小田原征伐では氏長と共に小田原城に籠もった。後北条氏滅亡後、兄と共に蒲生氏郷の家臣となる。 文禄4年(1595年)、氏長が死去したためその跡を継ぐ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して在国し、会津の上杉景勝に備えた。その功績により戦後、1万7000石を加増され、下野烏山3万7000石を領する大名となった。慶長19年(1614年)からの大坂の陣にも参陣した。元和2年(1617年)に死去した。長男の重長は早世していたため、家督は次男の氏宗が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田長忠」の詳細全文を読む
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