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成田線(なりたせん)は、以下の路線から構成される東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)。いずれも全区間千葉県内を走行する。 * 佐倉駅(佐倉市) - 松岸駅(銚子市)間の本線〔『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻26号 総武本線・成田線・鹿島線・東金線 21頁〕 * 我孫子駅(我孫子市) - 成田駅(成田市)の間の支線(通称我孫子支線)〔『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻26号 総武本線・成田線・鹿島線・東金線 21頁〕〔我孫子支線について、国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された基本事業計画では「佐倉から松岸まで及び成田から分岐して我孫子まで」とあり、佐倉から松岸までの路線から分岐している路線として記載されている。また、国土交通省監修『鉄道要覧』では、冒頭に佐倉 - 松岸、次いで成田 - 我孫子、成田 - 成田線分岐点、成田線分岐点 - 成田空港(第2種開業線)の順に記載されている。〕 * 成田市内にある成田駅 - 成田空港駅間の支線(通称空港支線)〔 == 概要 == 総武本線佐倉駅から北へ分岐し、成田駅を経て、利根川南岸に沿って、再び総武本線との合流駅である松岸駅へ至る本線は、佐倉駅 - 松岸駅間では総武本線よりも13.4km営業キロが長い〔東京近郊区間編入以前は、佐倉駅 - 松岸駅間の運賃については、総武本線経由・成田線経由のいずれの経路で乗車券を発券した場合でも、どちらの経路も乗車可能な選択乗車の扱いがされていた。〕。 空港支線は、成田駅から約2km北の地点で本線と分岐し空港第2ビル駅を経て成田空港駅に向かう。直通の軌道系交通機関がないため「世界一不便な国際空港」と揶揄されていた成田空港の状況をみた当時の運輸大臣である石原慎太郎の“鶴の一声”により、建設中止になっていた成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤の一部を活用して、1991年3月19日に京成線と同時開業した(成田空港高速鉄道も参照)。運輸省内部でもすでに1980年代半ばから実際的な検討を進めていた〔浅野明彦『鉄道考古学を歩く』JTB、1998年、pp.48-51〕。開業当初は成田空港駅のみだったが、翌1992年12月6日の第2旅客ターミナルビル供用開始に伴い、3日前の12月3日に空港第2ビル駅が開業した。 成田駅から分岐して我孫子駅に至る支線は、正式な愛称や通称などはないが、本線・空港支線とは区別された名称で呼称される場合があり、「我孫子支線」が一般的な表記である。また、直通する常磐線区間と併せて「常磐・成田線」として括っていることもある。2001年の我孫子支線全通100周年を機に、一般市民からこの支線の愛称を募集したところ、その中から「成田四季彩線(なりたしきさいせん)」と「水空ライン」の2種類が最終的な候補になり、フジテレビで同年4月6日に放送されたバラエティー番組『プレゼンタイガー』でJR東日本や沿線の関係者、並びに番組審査員4名(おちまさと、真島満秀、森下直人、ドン小西)の立会いの下審議した結果、この「水空ライン」が採用されたという。しかし、この愛称は我孫子市などの沿線自治体当局で使われた〔水空ライン成田線 我孫子市 (2007年9月27日時点のアーカイブ) - 現在は「水空ライン」の愛称はページ名から削除されている。〕のみで、JR東日本ではその後も「水空ライン」とは案内せず、「成田線」の案内のままである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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