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成田街道(なりたかいどう)は、江戸時代には水戸街道新宿(にいじゅく)から分岐して佐倉藩や成田山新勝寺に向かう街道であり、現在は千葉県道路愛称名により国道296号の船橋市前原西の中野木交差点〔本来は、その名の通り成田街道入口からであり、成田街道入口までは東金街道(御成街道)で直進は千葉県道69号長沼船橋線である。 〕~印旛郡酒々井町下台と、国道51号の酒々井町下台~成田市寺台の寺台インターチェンジを指し示す。ただし、この成田街道は江戸時代後期に成田山参詣が盛んになってからの愛称であり、江戸幕府の公式文書では「佐倉街道」(江戸城と譜代の大藩佐倉藩を結ぶ街道の意味)と呼称され、酒々井からは多胡藩など九十九里浜方面〔承平天慶の乱に際して天慶2年(939年)現在の横芝光町に下向した寛朝僧正が、翌天慶3年(940年)公津ヶ原で祈祷をしたのが成田山新勝寺の起源である。〕へ向かっており、成田山新勝寺に向かう道はその支道であった事に注意を必要とする。 このほか、水戸街道我孫子宿から分岐して利根川沿いに成田へ向かう道も同名で呼ばれた。現在は国道356号の一部となっている。 ==宿場== *市川宿(千葉県市川市) *八幡宿(市川市) *船橋宿(船橋市) *大和田宿(八千代市) *臼井宿(佐倉市) *酒々井宿(酒々井町) *寺台宿(成田市) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「成田街道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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