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成蜀 : ウィキペディア日本語版
成漢[せいかん]

成漢(せいかん、拼音:Chéng Hàn、304年 - 347年)は、中国五胡十六国時代族の一派である巴賨族(または巴氐とも呼ばれる)の李雄によって建てられた国。後蜀(ごしょく)と称される事もある〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P53〕。国号は最初は「」(大成)であったが、後に「」に変更された事から合わせて成漢といわれている〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P55〕。
== 歴史 ==

=== 建国期 ===
290年4月に西晋の始祖司馬炎(武帝)が崩御すると、西晋では八王の乱と称される内乱が発生。しかもこの内乱の最中である296年には氐族の斉万年の乱が起こって関中は大混乱となった〔。三国時代曹魏曹操の命令で李虎は謂水上流の略陽(現在の甘粛省泰安県)に居住させられていたが、李虎の孫李特(李慕の子)は連年の飢饉でこの地方に大量の流民が発生すると、297年に集団を率いて漢中に南下した〔。李特はさらに巴蜀(現在の四川省)に南下する事の承諾を西晋に求めたがこれは許可されなかったので、李特は西晋から派遣された侍御史を買収して西晋に蜀への南下を建議させて認可を受け、合法的に蜀に入国した〔。この際、李特の勢力は漢族などを合わせて10万人にまで達する強大なものとなっていた〔。
さて、当時の西晋の益州刺史趙廞(廞は广(まだれ)偏に欽)は刺史を免職されるとそれを恨みに思い、西晋から自立して新任の益州刺史である耿騰殺害を企てたが、この反乱に李特も協力した〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P54〕。ところが趙廞は李特やその兄の実力を恐れて301年にまずは兄を反逆を理由に殺害した〔。激怒した李特は趙廞を殺害する〔。このような混乱を見て西晋では新たな益州刺史として羅尚を送り込んで体制の再建を図り、李特は綿竹(現在の四川省徳陽市)に拠り羅尚に従属した〔。ところが流民の多くは李特に懐き、漢族の多くも李特を頼りとする者が増加したので、それを背景に302年5月に李特は大将軍と益州牧を自称して自立した〔。この際に建初という年号も建てているので、これが実質的な成漢の建国と言われる〔。
この事態に激怒した羅尚は李特の討伐を決定し激しい攻防を繰り広げたが、羅尚には西晋や荊州刺史宋岱らの支援があるだけ優位であったため、303年3月に李特は殺害された〔。その後、勢力は弟の李流に引き継がれたが間もなく病死し、李特の子李雄が引き継いだ〔。李雄は11月に反攻に出て羅尚から成都を奪い、304年10月には成都王と称した〔。正式にはこれが成漢の起源とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cheng Han 」があります。



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