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我妻堯(我妻尭、わがつま たかし、1930年1月9日- )は、産婦人科医、法医学者。 我妻栄の次男として東京に生まれる。1955年東京大学医学部卒、60年同大学院生物研究科修了、「妊娠中毒症の腎クリアランスに関する研究、特に四型分類との関係について」で医学博士、東大医学部助手。1962年ロンドン大学に学ぶ。1964年米国ジョンズホプキンス大学に学ぶ。66年帰国、愛育病院産婦人科部長、東大講師、助教授、1976年国立病院医療センター産婦人科部長、86年同国際医療協力部初代部長。母子保健や家族計画、医事法学などを研究、発展途上国への医療協力事業にとりくんだ〔日本人名大辞典 〕。子は法学者・我妻学。 ==著書== *『ピル=失敗しない避妊 正しい使い方とIUDの知識』昌平社 1974 *『妊娠から出産まで』婦人之友社 1976 *『失敗しない避妊 今、子どもがほしくない人のために』集英社 1984 *『正しい避妊の知識 より安全に、より確実に』メジカルビュー社 1986 *『鑑定からみた産科医療訴訟』日本評論社 2002 *『鑑定からみた産科医療訴訟』新訂 編著 箕浦茂樹,我妻学著 日本評論社 2013 *『リプロダクティブヘルス グローバルな視点から性の健康をみつめる』南江堂 2002 *『保健医療分野のODA 陰から光へ』勁草書房 2006 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「我妻堯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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