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我闘雲舞 : ウィキペディア日本語版
我闘雲舞[ぷろれすりんぐがとーむーぶ]
プロレスリング我闘雲舞(プロレスリングガトームーブ、、)は、タイバンコクを拠点とする女子プロレス団体アイドルユニットガトームーブ」についても記載。
== 概要 ==
タイを拠点とする初のプロレス団体。ムエタイを国技とする国でプロレス普及のために設立された。
プロレス自体は日本プロレスWWEなど国外団体の興行が何度か打たれており、プロレスファンは少なからず存在する。一方、タイ人レスラーは過去には全日本女子プロレスに留学生として所属していたが、国内に団体及び選手育成組織がなかったためプロレスラーになるきっかけは掴めても叶えられない状況が続いていた。
同年1月日本の女子プロレスラーさくらえみが代表も務めていたアイスリボン退団。その後、単身タイに移住し、日本とタイを行き来しながら、団体旗揚げのために奔走する。それと並行して渡航の資金を作るためJWP女子プロレスの大会会場でフリーマーケットを開催した際、米山香織がさくらえみにJWPへの勧誘したところ、「JWP・コントラ・タイ行きマッチ」として試合が組まれ、さくらが米山を秒殺して共にタイへ渡航する〔。さくらがタイ行きに至った理由は「自分で夢を叶えたい、そのために他人と同じことをやっても競争に勝てないから」〔デイリースポーツ 我闘雲舞、異国で追いかける女子プロレスの夢<後編> 2012年11月2日閲覧〕としているが、なぜタイを選んだかとの問いには「特に意味はない」としている〔デイリースポーツ 我闘雲舞、異国で追いかける女子プロレスの夢 2012年9月26日閲覧〕。しかし、タイではアイスリボンの番組が放送されていたため、その影響もあると見られる。なお、異国の地で団体を旗揚げしたという点はさくらの師匠であるビクター・キニョネスと共通している。
5月よりMBKセンター前で行われるムエタイイベント「MBKファイトナイト」に試合提供していたが、プレ旗揚げ後に予定された4度目の提供試合が中止になり、その後バンコクで興行を打っている「地下プロレスEXIT」に参戦している。
9月6日バンコクで旗揚げ戦を行い、正式にプロレス団体として始動する〔我闘雲舞、旗揚げします! - わふーでよよよ〕。現地のみならず日本その他各国からの入団希望者も募集している。プロレス通信教育を開いてタイ国外でもさくらより指導を受けられるようになっている〔【試合結果】2012年12月30日(日)市ヶ谷南海記念診療所 - わふーでよよよ〕。
練習はスクムウィット通りにて元吉本女子プロレスJd'広報の信包一彦国際空手道剛柔会泰国支部)が開いている空手道の桜道場〔第9回 「泰国桜道場」 信包一彦さん - タイランドハイパーリンクス 2012年12月13日閲覧〕を借りて行っている。
興行は初期アイスリボンと同様リングは使用せず、マットを使用する。
12月にはオーストラリア出身でZERO1DRAGON GATEなどに来日経験もあるTNT()が中心となり、タイ第2かつリングを使用する初の団体TWF(タイ・レスリング・フェデレーション)が旗揚げされ、我闘雲舞所属選手も参戦している〔The Beginning - Thai Wrestling Federation〕。なお、TWFは短期間で活動休止になったため、現在は当団体が再びタイ唯一のプロレス団体となっている。
目標とされていた現地で育成された選手を日本に送り込むこと(2013年7月15日にケンちゃんが板橋、8月9日にE・K・バギーP-Nutsが市ヶ谷で参戦)と、逆に日本でも練習生を募り育成してデビューさせること(2013年2月23日に「ことり」がデビュー)は達成されている。最終目標としてさくらは「アジアツアーの実現」「タイでの巡業」「テレビ中継」「プロレスラー希望者殺到」を掲げている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「我闘雲舞」の詳細全文を読む



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