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戦後50年の国会決議 : ウィキペディア日本語版
歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議[れきしをきょうくんにへいわへのけついをあらたにするけつぎ]

歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議(れきしをきょうくんにへいわへのけついをあらたにするけつぎ)は、1995年平成7年)6月9日に、衆議院本会議で可決された国会決議終戦五十年決議不戦決議とも呼ばれる。当時の村山内閣自社さ連立政権)の与党である自由民主党自由連合日本社会党・護憲民主連合および新党さきがけ院内会派3派により共同提出されたが、日本社会党土井たか子衆議院議長の主導で採択が行われた。衆議院議員502人のうち251人が出席し、230人の賛成(起立採決)により可決された。
この決議は後の村山談話に繋がることとなった。
== 概要 ==
1995年(平成7年)は終戦から50年の節目となることから、先の大戦を総括する動きが活発になっていた。この決議もその一連の動きの中で行われたものとされる。
日本社会党が最初に提出した決議草案は、当時連立内閣を組んでいた自由民主党などの反発にあい、表現の大幅な修正を余儀なくされた。修正案は相互に譲歩した表現とされたものの、決議自体に反対する議員も多く、全会一致で可決されることの多いこの種の決議としては異例の大量欠席者を出し、賛否が拮抗する決議となった。
採択当日は「本日は採択しない」という通知があり、多くの議員が退席したが、土井は突如議会再開のベルを鳴らした。
結局、与党議員70人を含む241人が欠席するという異例の事態の中、251人が出席し、230人の賛成(起立採決)により可決された。与党の欠席議員70人のうち、50人は「斯様な議決はそもそも不要」とする保守派の自民党議員で、14人は「修正案が譲歩しすぎている」とする社会党議員。野党は、新進党に所属する議員141人が欠席し、日本共産党に所属する議員14人は「より率直に謝罪を表明する表現」を求めて反対した。与党からも欠席者を多数出した。参議院でも同様の決議を提出する機会があったが、参議院自民党の村上正邦らが強硬に抵抗したことで、提出を見送られた。
2005年(平成17年)8月2日に衆議院本会議で可決された「国連創設及びわが国の終戦・被爆六十周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」(終戦六十周年決議)の中では、「われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。」として引用されている。この終戦六十周年決議は、自由民主党、公明党民主党社会民主党などの賛成多数で可決されている。なお、この決議においても自由民主党や民主党から10人ほどの欠席者を出し、日本共産党は反対している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fusen Ketsugi 」があります。



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