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『神州天馬侠』(しんしゅうてんまきょう)は、吉川英治初期の少年冒険小説。 1925年(大正14年)5月から1928年(昭和3年)12月まで、講談社「少年倶楽部」に連載された長編小説。現行は講談社文庫版の吉川英治歴史時代文庫全3巻。本項ではドラマについても記述する。 == 概要 == 武田勝頼の遺子である伊那丸を主人公に、武田家滅亡で生き延びた伊那丸が忠義の七士とともに武田家再興を志し京都へ旅発ち、行く手を阻む敵と死闘を繰り広げる物語。挿絵は躍動感のある武者画を得意とする日本画家の山口将吉郎が手がけている。 1914年(大正3年)に創刊された「少年倶楽部」は、1921年(大正10年)に加藤謙一が責任編集者となり、それまでの講談読物中心の誌風から少年小説を中心とする誌面改革を行い、吉川英治をはじめ大佛次郎ら人気作家を数多く招き、本作が連載されている時期は同社の他誌とともに築かれた講談社文化の黄金期にあたる。 吉川英治は1925年1月に講談社「キング」創刊号においてはじめて「吉川英治」のペンネームを用いて「剣難女難」を発表し、少年小説家としての地位を確立する。その後は少年倶楽部で「天兵童子」(1937年(昭和12年-1940年(昭和15年)連載)などを連載しているが、やがて少年作品から大衆文学へと移り、「宮本武蔵」などの時代小説の大作を発表して大衆小説家として活躍する。 戦後の一時期、GHQの方針のため新州天馬侠と改題されていた。 1961年と1967年の二回ドラマ化されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神州天馬侠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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