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相模(さがみ)は、かつて日本海軍に所属した戦艦である。元は、帝政時代のロシア海軍の戦艦ペレスヴェート(ロシア語:)で、日露戦争において日本海軍に鹵獲されたものである。艦名は旧国名「相模国」にちなむ。天皇に奏聞した候補艦名に「阿波」があった〔明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。〕。'')で、日露戦争において日本海軍に鹵獲されたものである。艦名は旧国名「相模国」にちなむ。天皇に奏聞した候補艦名に「阿波」があった〔明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。〕。 == 艦歴 == 1901年6月、サンクトペテルブルクで竣工。1904年、旅順艦隊に編入。日露戦争において黄海海戦に参加。1904年12月7日、日本陸軍の砲撃により旅順港内で沈没着底した。 1905年1月1日、日本海軍に捕獲され、5月15日から6月29日にかけて浮揚作業を実施した。8月22日には軍艦に編入され、「相模」と命名のうえ一等戦艦に類別された。8月23日佐世保に到着、12月12日、等級を廃止し戦艦となる。 1907年10月、横須賀工廠での修理工事が完了した。 1912年8月28日、一等海防艦に類別変更。その後、日露親善のためロシア側に返還することとなり、1916年4月4日に日本艦籍から除籍し「ペレスヴェート」に艦名を戻し、ウラジオストクで引き渡された。5月下旬に同港外で座礁し、7月9日、日本海軍により浮揚され、8月に舞鶴工廠で修理を行った。 1917年1月4日、白海へ回航の途中、ポートサイド北方で独潜水艦U-73が敷設した機雷に触れ沈没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相模 (戦艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Russian battleship Peresvet 」があります。 スポンサード リンク
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