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戴冠式 : ウィキペディア日本語版
戴冠式[たいかんしき]

戴冠式(たいかんしき、coronation)は、君主制国家で、国王皇帝即位の後、公式に王冠帝冠を受け、王位帝位への就任を宣明する儀式即位式ともいう。日本では、即位の礼がこれにあたる。
== 概要 ==
戴冠式は、高僧や神官、高位貴族が、新君主に王冠・帝冠をかぶせることにより行われる。先代君主が存命中に、先代君主自身の手により行うこともある。また、全ての君主制の国に王冠・帝冠が存在するわけではない。
古くは、アケメネス朝ペルシア帝国紀元前550年 - 紀元前330年)で、ゾロアスター教の大司教が皇帝に戴冠したとされる。
キリスト教国では、高僧が新君主の頭に聖油を注ぎ、への奉仕を誓わせる儀式が主体となる。このため、イギリスでは聖別式(consecration)、フランスでは成聖式(sacre あるいは sacre de roi)といわれた。
聖別式の起源は、『旧約聖書』の「列王記下」に記された故事にある。同書には、ソロモン王が王冠を受けたことが記され、また、イスラエルユダヤの諸王が聖別式を行ったことが記されている。「油塗られた者」(ヘブライ語の「マスィアッハ」)は「王」の婉曲的表現となり、後には救世主ラテン語の「メシア」)を指すようになる。
ヨーロッパ大陸では、カール大帝西ローマ帝国神聖ローマ帝国)を再興して、ローマ教皇から帝冠を受けた西暦800年から、皇帝フリードリヒ3世ローマに赴いてローマ教皇から帝冠を受けた1440年まで、聖油を注ぐ慣習が行われた。
アングロ・サクソン年代記には、デーン人の大軍を破ってイングランドを死守したアルフレッド大王が、872年に聖油を頭に受けて即位したとある。また、1066年には、ハロルド2世ロンドンウェストミンスター寺院で戴冠式を行ったと記録され、12世紀まではローマ教皇から王冠を受けた。その後、多少の改変はあったものの、1189年リチャード1世のとき、イギリスの戴冠式の様式がほぼ確立した。
カトリック国では、国王・皇帝のほか、ローマ教皇が即位する際にも戴冠式が行われた。14世紀クレメンス5世(在位:1305年 - 1314年)のときからは、三重冠(教皇冠英語版:Papal Tiara)が戴冠された。バチカン市国国旗国章にも、この三重冠が描かれている。しかし、三重冠の戴冠は、1978年ヨハネ・パウロ1世即位のときに止められた。ヨハネ・パウロ1世は、三重冠をアメリカ合衆国ワシントンD.C.にある無原罪の御宿りの聖母教会に寄贈した。2005年に即位したベネディクト16世は、紋章からも三重冠を廃した。
非キリスト教国でも、タイブルネイマレーシア東南アジア諸国や、中近東の君主制国家では、戴冠式やそれに類似した即位式が行われる。
1977年12月4日には、中央アフリカ共和国ボカサ大統領が、約2000万ドル(国家予算の1/4)もの巨費をつぎ込んで、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ1世に即位した(「黒いナポレオン」)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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