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戴冠式(たいかんしき、coronation)は、君主制の国家で、国王・皇帝が即位の後、公式に王冠・帝冠を受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式。即位式ともいう。日本では、即位の礼がこれにあたる。 == 概要 == 戴冠式は、高僧や神官、高位貴族が、新君主に王冠・帝冠をかぶせることにより行われる。先代君主が存命中に、先代君主自身の手により行うこともある。また、全ての君主制の国に王冠・帝冠が存在するわけではない。 古くは、アケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550年 - 紀元前330年)で、ゾロアスター教の大司教が皇帝に戴冠したとされる。 キリスト教国では、高僧が新君主の頭に聖油を注ぎ、神への奉仕を誓わせる儀式が主体となる。このため、イギリスでは聖別式(consecration)、フランスでは成聖式(sacre あるいは sacre de roi)といわれた。 聖別式の起源は、『旧約聖書』の「列王記下」に記された故事にある。同書には、ソロモン王が王冠を受けたことが記され、また、イスラエルとユダヤの諸王が聖別式を行ったことが記されている。「油塗られた者」(ヘブライ語の「マスィアッハ」)は「王」の婉曲的表現となり、後には救世主(ラテン語の「メシア」)を指すようになる。 ヨーロッパ大陸では、カール大帝が西ローマ帝国(神聖ローマ帝国)を再興して、ローマ教皇から帝冠を受けた西暦800年から、皇帝フリードリヒ3世がローマに赴いてローマ教皇から帝冠を受けた1440年まで、聖油を注ぐ慣習が行われた。 アングロ・サクソンの年代記には、デーン人の大軍を破ってイングランドを死守したアルフレッド大王が、872年に聖油を頭に受けて即位したとある。また、1066年には、ハロルド2世がロンドンのウェストミンスター寺院で戴冠式を行ったと記録され、12世紀まではローマ教皇から王冠を受けた。その後、多少の改変はあったものの、1189年のリチャード1世のとき、イギリスの戴冠式の様式がほぼ確立した。 カトリック国では、国王・皇帝のほか、ローマ教皇が即位する際にも戴冠式が行われた。14世紀のクレメンス5世(在位:1305年 - 1314年)のときからは、三重冠(教皇冠、英語版:Papal Tiara)が戴冠された。バチカン市国の国旗・国章にも、この三重冠が描かれている。しかし、三重冠の戴冠は、1978年のヨハネ・パウロ1世即位のときに止められた。ヨハネ・パウロ1世は、三重冠をアメリカ合衆国のワシントンD.C.にある無原罪の御宿りの聖母教会に寄贈した。2005年に即位したベネディクト16世は、紋章からも三重冠を廃した。 非キリスト教国でも、タイ、ブルネイ、マレーシアの東南アジア諸国や、中近東の君主制国家では、戴冠式やそれに類似した即位式が行われる。 1977年12月4日には、中央アフリカ共和国のボカサ大統領が、約2000万ドル(国家予算の1/4)もの巨費をつぎ込んで、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い、中央アフリカ帝国初代皇帝ボカサ1世に即位した(「黒いナポレオン」)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戴冠式」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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