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戴員 : ウィキペディア日本語版
戴員[たい いん]
戴 員(たい いん、? - 204年?)は、中国後漢末期の人物。
== 生涯 ==
はじめ呉郡太守盛憲に仕えた〔中国『三国志全人名事典』、P242〕。しかし盛憲が孫権に殺害されたため、山中に逃亡した〔。孫翊丹陽太守になると、罪を許され郡丞として迎えられた〔が、徐氏(孫翊の妻)には媯覧と共に警戒されていた。
戴員は孫翊に厚遇されていたが、媯覧と共に密謀し、204年に辺洪(辺鴻)を扇動して孫翊を殺させた〔。また、辺洪を口封じのために罪を負わせた上で殺した〔。しかし、周囲の者達は戴員らが辺洪を扇動し、孫翊を殺させた事を知っていたという。さらに孫河がこの事件で戴員らを咎めたため、後の災禍を恐れた戴員らは孫河をも殺した〔。そして劉馥と通じ反乱を起こそうとしたが、その直前に徐氏が旧臣の徐元孫高傅嬰らと連絡を取り合い謀ったため、媯覧と共に殺されてしまった〔中国『三国志全人名事典』、P160〕〔中国『三国志全人名事典』、P229〕〔〔中国『三国志全人名事典』、P326〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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