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戴逵[たい き] 戴 逵(たい き、326年 - 396年)は、東晋時代の中国の画家・彫塑家・文人。字を安道という。 == 伝記 == 譙国(安徽省亳県)の出身。予章(江西省南昌県)にいた時に術士・范宣に師事し、その姪をめとっている。後に会稽の剡県(浙江省嵊県)に移住し常に礼節を以て身を持し、放恣になることを戒めていた。博学で文を善くし、琴・書・画をはじめとして諸芸をきわめた。東晋の孝武帝は散騎常侍や国子博士に任命するといって何度も招いたが、戴逵は応じようとしなかった。孝武帝が束縛を強めようとしたので呉(江蘇省呉県)に逃げ、呉国内史・王珣に保護され、会稽内史・謝玄の計らいで剡県に帰る。王珣が尚書僕になった時に上疏して国子祭酒・散騎常侍に推挙したが、またも応じようとしなかった。著書に『戴逵集』9巻がある。書画は現存していない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戴逵」の詳細全文を読む
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