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戸川安尤[とがわ やすもと]
戸川 安尤(とがわ やすもと、生年不詳-慶安3年6月9日(1650年7月7日)は、江戸時代の幕臣(旗本寄合)・書院番士。通称は、主馬のち内蔵助。 庭瀬藩主・戸川達安の三男として生まれる。 寛永5年(1628年)2月、父の跡を継いだ兄・正安によって早島に3400石を分知され旗本となるが早島に入部せず、庭瀬藩から遣わされた平井庄右衛門(のちの江戸家老)、中村八郎右衛門・今村庄兵衛(のちの国家老)、小野孫右衛門の4人に政事を執り行わせた。 寛永19年(1642年)早島に初入部した際に、庄屋と知行所役人が年貢・諸役の算用について不正を行ったとして百姓300人が訴えた村方騒動が起こったが、安尤は百姓側の首謀者2人に打首・獄門、書状を認めた者を打首、訴えられた庄屋は運営の非を咎められて50日の閉門と銀10枚の過料とする裁定を下している。 慶安3年(1650年)6月9日没。跡目は養子の重明が継いだ。 やすもと
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸川安尤」の詳細全文を読む
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