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戸川安清 : ウィキペディア日本語版
戸川安清[とがわ やすずみ]
戸川 安清(とがわ やすずみ、天明7年(1787年) - 慶応4年3月4日(1868年3月27日)は、江戸時代幕臣旗本)500。通称は、雄三郎。初名は安恵。字は興。雅号は蓮仙、剃髪後は蓬庵。
== 経歴==

戸川安論として生まれた。
文化2年(1805年従五位大隅守目付叙任(のち播磨守)。
天保7年(1836年)より長崎奉行。天保13年(1842年)2月より勘定奉行弘化2年(1845年)より西の丸留守居役万延元年(1860年)より留守居役など要職を歴任。
文久元年(1861年公武合体のため江戸に居る将軍徳川家茂のもとへ降嫁する和宮の警護役を務める。
慶応2年(1866年)12月に剃髪隠居し、子の中務少輔早世しているため跡目は養子)の八百次郎に継がせた。
慶応4年(1868年)3月4日没。品川区上大崎の最上寺にある。
安清は篆書隷書を得意とするの達人として知られており、家茂師範を務める程であった。
有名な書に、不洗観音寺倉敷市中帯江)の本堂「縁起額」(天保10年)と昌平黌の「論語」の一節を書いた屏風安政3年)がある。

やすすみ




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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