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戸板康二 : ウィキペディア日本語版
戸板康二[といた やすじ]
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は日本演劇歌舞伎評論家推理作家随筆家
== 来歴 ==
東京市(現東京都港区)芝三田四国町出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる〔NHKラジオアーカイブス「戸板康二」2015年1月15日放送〕。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める〔。
幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる〔。暁星小学校に編入し、暁星中学校を卒業。同級生にのちの尾上梅幸 (7代目)〔梅幸とは愛宕小学校でも同級。戸板は著書「六代目菊五郎」で、当時丑之助の梅幸(寺島誠三)は「細面で色の白い、だが適度に茶目っ気のある少年」で、「席が近かったせいもあってよく遊んだ」が、その少年が「舞台に出ていること、彼の父親が菊五郎であることを知ったのはもっと後の話であった」と回想している。〕 、串田孫一がいた。梅幸によると康二は神童と呼べるほど頭がよかったという〔。14歳のとき祖母を亡くす。慶応予科を経て慶應義塾大学文学部国文学科卒。慶應国文科では折口信夫に師事。当初仏文専攻を考えていたが、予科時代の先輩である池田弥三郎から「折口は百年に一人の人。その授業を逃す手はない」と言われ国文に進んだ〔。
大学卒業後、明治製菓の宣伝部でPR誌『スヰート』の編集に携わる。第二次世界大戦中の1943年山水高等女学校に国語教師として勤務。1年後の1944年、師久保田万太郎に誘われて日本演劇社に入り、『日本演劇』の編集長となる〔。1948年、33歳で『歌舞伎の周囲』を刊行してから、続々と歌舞伎新劇新派の批評、随筆、入門書を刊行、特に『歌舞伎への招待』はロングセラーとなる。44歳の時江戸川乱歩の熱心な勧めによって執筆した『車引殺人事件』で推理作家としてデビュー。『団十郎切腹事件』によって直木賞を受賞する。様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、逝去直前まで書き続けられて単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』(歌舞伎座の筋書に毎月掲載された、その月の演目にまつわるエピソード)の5冊を数える名シリーズとなったが、元々は戸板のほか岡部冬彦山川静夫らが書き継いだ『オール讀物』の名物コラムのタイトルから書名をとったものである。ほか句作も行った。
1991年日本芸術院会員。1993年に脳血栓で急逝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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