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戸次親延(べっきちかのぶ、?-天文20年(1551年〔「柳河藩享保八年藩士系図・下」の立花八次郎系譜。同書の立花小七郎系譜では天文19年(1550年)戦死。〕)は戦国武将。豊後国の戦国大名大友氏家臣である戸次氏の一族。諱は親延。通称は右馬助、治部太夫、治部少輔。戸次親貞(丹後守)の五男にあたる。兄弟に戸次親宣、戸次親就(但馬守)。子は戸次親繁。戸次親家の叔父で立花道雪の大叔父にあたる。 天文20年(1551年)に肥前国小坂の戦いで戦死する。親延の家督は弟の戸次親就が継ぎ、実子の親繁は親就の養子となった〔「柳河藩享保八年藩士系図・下」の立花八次郎系譜の親就の記述に『兄親延之嫡男親繁ヲ為養子家ヲ継』とある。〕。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸次親延」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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