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戸次通孝 : ウィキペディア日本語版
戸次通孝[べっき なおのり]

戸次 通孝(べっき なおのり)は江戸時代後期の武士柳河藩立花貞俶の5男で柳川藩家老家の一つである立花織衛家の祖とされる。なお、本人の代では盲人故に家臣にならず藩主家一族に留まる。
== 生涯 ==
元文4年(1739年)に柳河にて出生。幼少の頃に病気により視力を失う。この為に終生無役であり、家臣ではなく柳河藩主家一族として扱われた。宝暦6年(1756年)に異母兄で藩主の立花鑑通より偏諱の「通」の字と梅庵の通称を与えられ、苗字を戸次、名を通孝と称するようになる。「戸次」は元々立花道雪の実家の名称でもある(また、柳河藩士に戸次を苗字とする人物(親族の戸次鑑貞など)が見られるのでこの家系を継いだとも考えられる)。宝暦9年(1759年)に竹門南に宅地を賜り、御厄介料200石、銀100枚を拝領される。宝暦11年(1761年)に通称を梅蕊軒(ばいずいけん)と改名。また、年代不詳であるが、三潴郡七ツ家村と山門郡六十町に所領を拝領されている。
安永8年(1779年)に願いにより豊後橋東に移転し、翌年死去、享年42。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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