翻訳と辞書
Words near each other
・ 戸次統連
・ 戸次親守
・ 戸次親宗
・ 戸次親家
・ 戸次親廉
・ 戸次親延
・ 戸次親繁
・ 戸次親行
・ 戸次通孝
・ 戸次道雪
戸次重幸
・ 戸次鎮連
・ 戸次鑑方
・ 戸次鑑連
・ 戸毎
・ 戸水事件
・ 戸水寛人
・ 戸沢
・ 戸沢テレビ中継局
・ 戸沢久夫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戸次重幸 : ウィキペディア日本語版
戸次重幸[とつぎ しげゆき]

戸次 重幸(とつぎ しげゆき、1973年11月7日 - )は、日本俳優演出家タレント。本名および旧芸名:佐藤 重幸(さとう しげゆき)〔。所属事務所CREATIVE OFFICE CUE(業務提携先はアミューズ)。演劇ユニットTEAM NACS所属。北海道札幌市西区(現:手稲区)出身。血液型O型。身長173cm。妻は女優市川由衣
札幌市立手稲鉄北小学校札幌市立手稲西中学校北海道札幌手稲高等学校北海学園大学工学部卒業。
== 経歴 ==
札幌市手稲区で生まれ育つ。大学受験に失敗し、手稲高校卒業後の大学浪人時代にテレビで放送されていたブルーリボン賞授賞式にて、イッセー尾形の一人芝居「タクシーを待つ人」に魅せられ、受験をやめて役者になることを決意。その日のうちに親に宣言するも、「泣いて止められた」(本人談)ため大学へ進学した。
進学先の北海学園大学では演劇研究会に入り舞台活動を始める。そこで大泉洋安田顕らと出会い、1回限りのユニットTEAM NACSを結成。大学卒業後は東京に出て劇団の研究生として役者を続けるつもりだったが、留年中にTEAM-NACSが再結成されどんどん大きくなってしまった。「東京からオファーを受ける」という森崎博之の夢に感化され、ローカルタレントをしながらNACSのメンバーとして活動を続ける道を選ぶ。
2000年に音尾琢真とともにCREATIVE OFFICE CUE加入、タレント活動も並行して行う。
1994-2002年には大泉・音尾・森崎らが所属している劇団イナダ組にも在籍していた。役者としてだけではなく脚本演出の立場としても精力的に活動し、また、NACS以外の役者ともユニットを作り、北海道の演劇界の底上げを目指している。
2005年からは全国放送のドラマにも出演。2006年には東京から舞台のオファーを受け、夢を実現させた。
亡母の一周忌を期に、2008年1月1日より、母の旧姓を取った現在の芸名を名乗っている。戸次は本来「べっき」と読むが、覚えやすく「とつぎ」と読ませている。大泉からは「とじ=戸(と)次(じ)」と呼ばれることがある。
2008年12月にCREATIVE OFFICE CUEのWEB SITE内にて自身の公式ブログ「戸次式」を開設し、その後も定期的に更新していたが、2014年9月21日の「戸次、提案します。」というタイトルで投稿した記事〔記事の内容は渋滞道路交通法などについて戸次が独自にルールを提案するという内容であった。〕の一部内容に対してネット上で批判が相次ぎ、その結果ブログが炎上してしまう。その後、戸次は2014年9月24日の記事内にて「ネットという公の場で発言すべき内容ではなかった」と謝罪し、問題となった記事も削除された。ブログはその後暫く休止の状態が続いていたが、2014年12月2日に約2か月ぶりに更新し「不特定多数の方から、一つの批難もないよう、思うことを文章で表現する。私にその能力はないとわかりました。」などと自分の思いを綴り〔戸次式 〕、正式に自身のブログを閉鎖する事を発表した。
亡母の誕生日にあたる2015年9月8日に女優市川由衣と結婚したことを所属事務所を通して発表した。婚姻届は都内の区役所に2人で提出〔TEAM NACKS戸次重幸&市川由衣が電撃婚 交際1年2ヶ月「小さな幸せを大切に」 オリコン 2015年9月10日〕〔戸次重幸、市川由衣と結婚 8日入籍 デイリースポーツ 2015年9月10日〕〔「苦節41年」戸次重幸が市川由衣との結婚を報告 日刊スポーツ 2015年9月10日〕。2014年のドラマ『おわこんTV』の共演で知り合い交際に発展。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸次重幸」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.