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戸沢光盛 : ウィキペディア日本語版
戸沢光盛[とざわ みつもり]

戸沢 光盛(とざわ みつもり)は、安土桃山時代大名戸沢氏の第19代当主〔。出羽角館城主。家系平衡盛を祖とする戸沢氏。
== 生涯 ==
天正4年(1576年)、第16代当主・戸沢道盛の子として角館城で生まれる。
天正18年(1590年)、兄で第18代当主の戸沢盛安が早世し、その実子である戸沢政盛も幼少だったため、家督を継いで第19代当主となる〔〔。豊臣秀吉奥州仕置では領地を安堵され、「出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳」では4万4350石余の所領を安堵されている〔。
天正20年(1592年)、豊臣秀吉による文禄の役が始まると、それに参加して肥前名護屋城に向かったが、その途上で発病し、3月15日(または5月15日〔)に播磨国姫路において死去した〔〔。享年17〔(4月15日に明石で死去、享年16とする説もある〔)。伝承によれば、播磨国塩屋(現・兵庫県神戸市垂水区塩屋町)にて疱瘡〔で死去し、塩屋の海岸にて荼毘に付され、禅昌寺(神戸市須磨区)に埋葬されたといわれる。また、その墓である五輪塔は、疱瘡除けとして信仰された〔b4^『神戸名勝案内記』(明治30年)付録p2、『西攝大観』(明治44年)下巻 武庫郡之部p22、神戸又新日報『カウベ新風土記』(昭和9年5月6日)。〕。
跡を甥の政盛が継いだ〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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