翻訳と辞書
Words near each other
・ 戸田信子
・ 戸田信子 (アナウンサー)
・ 戸田信子 (作曲家)
・ 戸田修三
・ 戸田光則
・ 戸田光庸
・ 戸田光慈
・ 戸田光昭
・ 戸田光正
・ 戸田光洋
戸田光熈
・ 戸田光直
・ 戸田光規
・ 戸田光重
・ 戸田全久
・ 戸田公園
・ 戸田公園 (戸田市)
・ 戸田公園駅
・ 戸田公明
・ 戸田六之助


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戸田光熈 : ウィキペディア日本語版
松平光煕[まつだいら みつひろ]

松平 光煕(まつだいら みつひろ)は、美濃加納藩の第3代藩主。山城淀藩の初代藩主。戸田松平家5代。名は戸田光熙と記される場合も多い。
== 生涯 ==
延宝2年(1674年)、加納藩第2代藩主・松平光永の長男として美濃国加納に生まれる。元禄元年12月に従五位下河内守に叙任し、同8年5月、将軍徳川綱吉阿部正武邸御成りの際は、将軍の前で『論語』を講じる。宝永2年(1705年)に家督を継いで加納藩主となり、官途を丹波守と改める。翌3年(1706年)、藩主として初めて城地に赴いた。宝永5年(1708年)、幕命により禁裡造営に従事し、翌6年(1709年)、功により朝廷より広次の御太刀及び堂上家寄合書の『拾遺集』を下賜され、幕府からも時服を賜った。宝永8年(1711年)2月15日、6万石で山城淀に移封された。山城の他、河内摂津近江国にも領地があった。享保2年9月4日没、享年44。跡を三男の光慈が継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平光煕」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.