翻訳と辞書
Words near each other
・ 戸田康英
・ 戸田康長
・ 戸田庸直
・ 戸田廉吉
・ 戸田建設
・ 戸田弥生
・ 戸田彬弘
・ 戸田忠久
・ 戸田忠位
・ 戸田忠余
戸田忠光
・ 戸田忠利
・ 戸田忠勝
・ 戸田忠厚
・ 戸田忠友
・ 戸田忠喬
・ 戸田忠囿
・ 戸田忠太夫
・ 戸田忠如
・ 戸田忠寛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戸田忠光 : ウィキペディア日本語版
松平忠光[まつだいら ただみつ]

松平 忠光(まつだいら ただみつ)は、戸田松平家信濃国松本藩の嫡子。戸田氏嫡流である松平康長の次男。徳川家康の甥にあたる。正室は徳島藩祖・蜂須賀家政の娘・実相院(辰姫)。
== 生涯 ==
武蔵国東方城に生まれる。慶長17年(1612年)、徳川秀忠に初見して元服・叙任。備前国一文字の刀と「忠」の偏諱を賜り、松平忠長と称す。のちに松平忠光と改める。大坂の陣には父と共に、今福の戦い天王寺口の合戦に参戦した。元和5年(1619年)に兄・永兼が没したため、嫡子となる。
元和9年(1623年)に将軍徳川家光の上洛に従い、参内の守衛となる。寛永3年(1626年)、再び家光上洛に随行し、後水尾天皇二条城御幸の守衛に当たる。
父の康長は松本藩領安曇郡大町組、池田組、松川組の計1万5000石を忠光に分知させ、支藩として立藩させる計画で、元和5年、千国街道池田宿に若松城の築城が起工されたが、家督を相続することなく寛永6年(1629年)に早世したため沙汰止みとなった。享年32。代わって弟の庸直が嫡子となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松平忠光」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.