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戸田忠温[とだただよし]
戸田 忠温(とだ ただはる)は、江戸時代末期の大名、寺社奉行、老中。下野宇都宮藩第4代藩主。宇都宮藩戸田家10代。 == 略歴 == 第2代藩主戸田忠翰の五男。宇都宮城生まれで生母は鹿沼の町家の娘〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P74〕。文政6年(1823年)2月に兄忠延の養子となり、4月に家督を継いだ〔。 天保4年(1833年)に奏者番に任命され〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P77〕、天保11年(1840年)2月に寺社奉行を兼務した〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P76〕。弘化2年(1845年)からは老中となり〔、最初の正室の甥である阿部正弘と共に紛糾する外交問題の処理から海防の意見書の提出を求めたり、砲台の改築や諸大名への防備の強化を命じたりした〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P78〕。 忠温は幕府の要職を歴任したため幕府の要路に金を使い、藩財政が悪化したので家老の戸田七兵衛は諌めたが聞き入れなかった〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P79〕。また江戸藩邸にはオランダ人や琉球人を招いて藩財政の窮乏をよそに賑やかだったという〔。また年下で義理の甥である正弘に老中就任で先を越されたため、あるとき忠温の供頭が恐ろしい形相で睨みつけていたという話も伝わる〔。 死後、家督は三男の忠明が継いだ〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸田忠温」の詳細全文を読む
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