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戸田氏彬 : ウィキペディア日本語版
戸田氏彬[とだ うじあきら]
戸田 氏彬(とだ うじあきら、天保2年5月11日1831年6月20日) - 慶応元年8月8日1865年9月27日))は、江戸時代末期の大名美濃国大垣藩の第10代藩主。大垣藩戸田家11代。
第9代藩主・戸田氏正の長男、母は親姫(島津重豪の娘)。正室は稲葉正守の娘。官位は従四位下、采女正。
== 経歴 ==
天保2年(1831年)5月11日生まれ。弘化3年(1846年)11月15日、将軍徳川家慶に拝謁する。嘉永元年(1848年)12月16日、従五位下出雲守に叙任する。安政3年(1856年)10月25日、父の氏正が隠居したため、家督を継ぐこととなった。
文久元年(1861年)12月16日、従四位下に昇進した。
幕府に忠実な人物で、禁門の変では長州藩の家老・が率いる軍勢を伏見街道で破るという功績を挙げている。さらに水戸藩天狗党武田耕雲斎中山道を上洛しようとしたときは、これを妨害した。
第2次長州征伐にも幕府方として与し、第14代将軍・徳川家茂の警護役を務めたが、その途中で病に倒れ、慶応元年(1865年)8月8日に35歳で死去した。死後、家督は弟の氏共が継いだ。藩祖・一西以来、代々の当主とともに大垣の常葉神社にて祭神として祀られている。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸田氏彬」の詳細全文を読む



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