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手塚光盛[てづか みつもり] 手塚 光盛(てづか みつもり、? - 寿永3年(1184年))は、平安時代末期の武将。諏訪神社下社の祝部である金刺氏の一族。手塚別当の子(甥とも)。兄に金刺盛澄。通称は太郎。 『源平盛衰記』では信濃国諏訪郡の住人と記されているが、近年の研究により、居館跡や流鏑馬の遺構・光盛の菩提を弔った五輪塔や寺跡など手塚氏関連のものが多数残されている点、山梨県の大善寺に所蔵される三枝氏系図などにより、光盛をはじめとする手塚氏は上田市の手塚地区を本拠としていたと推定される〔上田市誌歴史編(4)「上田の荘園と武士」p.27-31(2001年)〕。 == 経歴 == 治承4年(1180年)、源義仲が挙兵するとその麾下に参加し、有力な部将の一人となる。寿永2年(1183年)、篠原の戦いに従軍。その際に斎藤実盛を討ち取った際の逸話は、『平家物語』において著名である。 寿永3年1月、源範頼、義経の追討軍と戦い、主君義仲と共に戦死。最後まで義仲に従った四騎の内の一人であったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「手塚光盛」の詳細全文を読む
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