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手塚眞 : ウィキペディア日本語版
手塚眞[てづか まこと]

手塚 眞(てづか まこと、本名:真新字体1961年8月11日 - )は、ヴィジュアリストという肩書きで〔PROFILE - Tezka Macoto' 6D、2012年7月28日閲覧。〕、映画監督など映像全般に関わるクリエーター
有限会社ネオンテトラ代表取締役株式会社手塚プロダクション取締役東京工科大学メディア学部客員教授。日本工学院専門学校クリエイターズカレッジ顧問。イメージフォーラム映像研究所講師。ジャパン・イメージ・カウンシル理事。知的財産管理技能検定委員安吾賞選考委員。
父は漫画家手塚治虫、妹はプランニングプロデューサー・地球環境活動家の手塚るみ子、妻は漫画家の岡野玲子。また、祖父に写真家手塚粲、曾祖父に司法官手塚太郎、高祖父に医師手塚良仙がいる。
== 来歴 ==
手塚治虫の長男として生まれる。小学校から高等学校までを成蹊学園で過ごす。幼児期には虫プロダクションが制作した『W3』よりも『ウルトラQ』を好み、主に妖怪物の漫画などを愛好した〔手塚治虫『観たり撮ったり映したり』キネマ旬報社1987年、P14 - 15〕。幼少時代に手塚作品にあまり馴染まなかった理由については自著で、「嫌いだとかつまらないというより、身近すぎていつでも観られるという印象を持っていたからです」「ぼくらはその気さえあれば、いつでもアニメは観られるのです。まったく八百屋にとっての野菜と同じ、漫画もアニメも見飽きていて、どちらかと言えば父の仕事場を連想してしまい、やや面倒なイメージがあったのです」と記している〔『天才の息子』ソニーマガジンズ、2003年、P33〕。
成蹊高等学校在学時に初めて制作した8mm映画『FANTASTIC★PARTY』が「日本を記録する8mmフェスティバル」高校生部門特別賞を受賞し、審査委員だった大島渚監督ほか映画人に高く評価される。ついで監督した2本の短編作品『UNK』と『HIGH-SCHOOL-TERROR』が、ともに「ぴあフィルムフェスティバル」に入選、犬童一心らとともに「高校生作家」と称される。学園を舞台にした短編ホラー『HIGH SCHOOL TERROR』は『学校の怪談』など後のジャパニーズホラー・ブームの先駆けとなる。日本大学藝術学部映画学科に進学後、1981年に監督した8mm映画『MOMENT』は学生を中心に大人気となり、現在でもDVDが発売されている。テレビ東京のバラエティ番組『もんもんドラエティ』のために『お茶の子博士のHORROR THEATER』という短編ホラーのコーナーを制作、本人が解説者で登場。また、角川映画ねらわれた学園』に有川正彦役で出演、薬師丸ひろ子と共演する。在学中に近田春夫製作総指揮による長編劇場映画『星くず兄弟の伝説』を監督、25歳でプロの監督デビューとなる。雑誌の連載など執筆活動も始め、多忙のため大学を中退する。以降、ヴィジュアリストという肩書で、長編映画からドラマ、アートフィルム、PVやイベント製作などを行っている。
1986年、Vシネマの草分けとなる『妖怪天国』を監督、手塚治虫馬場のぼる水木しげる楳図かずおらの出演が話題となる(のちに続編『妖怪天国 ゴーストヒーロー』を監督した)。
1991年、開発初期のハイビジョンで『東大寺伝説・金剛奇譚』を撮る。同年、黒澤明監督に取材したドキュメンタリー『黒澤明・映画の秘密』を演出する。
1995年富士通のPCソフト『TEO〜もうひとつの地球』をプロデュース、世界19か国で50万本のヒットとなる。
1999年、10年をかけた大作長編映画『白痴』を監督した。撮影時には新潟県美咲町に巨大なオープンセットを建設、市民によって運営されるミニシアター「新潟・市民映画館シネ・ウインド」を始め、多くの有志がボランティアで撮影に参加する。現在も新潟・市民映画館シネ・ウインドや市民に映画撮影のノウハウを講義する「にいがた映画塾」、「安吾の会」などの活動に大きく関わっている。ヴェネツィア国際映画祭に招待される。プリモフィーチャーフィルムフェスティバル・デジタルアワードを受賞している。釜山ラテンアメリカアラブほか各国の映画祭にも招待され、フランスでは劇場公開される。
2001年には「東アジア競技大会大阪大会」開会式の総合演出を務める。
2003年からテレビアニメ『ブラック・ジャック』の監督を行い、東京アニメアワード優秀作品賞を受賞する。マンガ『PLUTO』(浦沢直樹×手塚治虫)の監修を行い、同作はメディア作品賞ほかを受賞した。
2005年愛知万博にてダンスオペラ『UZUME』演出。
2007年よりニコニコ動画に関わり、「ニコニコ国際映画祭」ほかを企画、審査委員長を務める。2011年にはニコニコムービー第1弾として『動画探偵ぐれいと・すぺしゃる ニコニコ連続殺人事件』を脚本、監督する。
また、手塚治虫の遺族として宝塚市立手塚治虫記念館、公式ホームページ、東京都江戸東京博物館「手塚治虫展」、シンポジウム「手塚治虫アカデミー」等のプロデュースを行っている。その他執筆活動、講演活動、テレビ出演も多く、NHKETVサイエンスZERO』のコメンテーターを8年間務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「手塚眞」の詳細全文を読む



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