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手塚 しげお(てづか しげお、1942年1月27日 - 2004年2月4日)は、日本の歌手、俳優。本名および旧芸名は、手塚 茂夫(読み同じ)〔。 山梨県出身〔。身長167cm、体重58kg。國學院高等学校卒業〔。晩年は大阪に本拠を移し、同地の芸能プロであるMC企画に所属していた〔。 == 来歴・人物 == 高校に通いながら児童劇団こけし座に所属。ラジオドラマ『ママの日記』に出演中の1958年、久松静児監督にスカウトされ、日映の『怒りの孤島』において主演の七人の少年の一人として本名で映画デビュー。次いで東宝系の映画に出演を始め、久松監督の『愛の鐘』の後、岡本喜八監督『ある日わたしは』で星由里子の弟、『独立愚連隊』に少年兵の役で出演。翌1959年5月よりNTV系列にて放送された少年時代劇『矢車剣之助』では主役に抜擢される。 1960年、高校を卒業。1962年、名前を平仮名にしてアイドル・グループ「スリーファンキーズ」の一員となる。テレビのショー番組などで活躍した後、1966年にソロ・シンガーとしてクラウンレコードに入社するが、ヒット曲に恵まれず、俳優として主にテレビドラマを中心に活動した。テレビでは『ワイルド7』『太陽にほえろ!』『ウルトラマンレオ』などに出演し、中でも『太陽にほえろ!』第111話での松田優作演じるジーパン刑事を射殺した犯人・会田役が知られている。 また俳優業の傍ら、ホテルの結婚式・宴会プロデューサーなどを務め、1989年からは大阪府のキタ新地でクラブ・LOFT7のマスターを務めた。1970年に結婚し、二子あり〔。特技は殺陣、歌唱、ギター〔。 身体を末期がんに侵され2003年6月、妻が医者から手塚の余命3カ月を告知されるも本人には知らせず、長沢純と玉川温泉で湯治、寝食を共にするなどして一時は平穏な生活を取り戻したが〔手塚 茂夫さんを偲ぶ「あの人との思い出」 - 風のあしあとHP、2012年7月1日閲覧。〕2004年2月4日、肺癌のため大阪府高槻市の病院で死去〔。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「手塚しげお」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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