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手越河原の戦い : ウィキペディア日本語版
手越河原の戦い[てごしがわらのたたかい]

手越河原の戦い(てごしがわらのたたかい)は建武2年12月5日駿河国手越河原(静岡県静岡市駿河区手越原)で戦われた戦い。後醍醐天皇尊氏追討令新田義貞に命じた新田軍と足利軍との合戦である。
== 合戦前 ==
中先代の乱が起こり太平記ではその際、直義が独断で東光寺に閉じ込められていた後醍醐の皇子の護良親王を家臣の淵辺義博に殺害させた。その後、後醍醐に足利尊氏が時行討伐の許可と同時に武家政権の設立に必要となる総追捕使征夷大将軍の役職を要請するが、後醍醐は要請を拒否する。後醍醐の勅状を得ないまま征伐に行ってしまったため尊氏は追って征東将軍の号を与える。鎌倉に本拠を置いて武家政権の既成事実化をはじめる。これを恐れた後醍醐は尊氏追討令を発し新田義貞を鎌倉へ向かわせる。
そして、建武2年11月25日1336年1月8日)から27日にわたり三河国矢作川で新田軍と足利直義高師泰の間で矢作川の戦いが発生する。直義勢は20万程の東国の武将を率いてきたが、矢作川の戦いでは高勢が敗走したため直義勢は遠江国に退却した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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