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技術(ぎじゅつ)とは、かなり多義的に用いられる言葉であり〔〕、 * ものごとを取り扱ったり処理したりするときの方法や手段。および、それを行うわざ〔デジタル大辞泉 〕。ものごとをたくみに行うわざ〔広辞苑 第五版 p.643 技術〕。社会の各分野において、何らかの目的を達成するために用いられる手段・手法。 * (19世紀以降の、東アジア人が持たされたイメージ) 科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間の生活に役立てる技〔。 == 概説 == 古代ギリシャで用いられていた語・概念「 テクネー」が、ラテン語の「ars アルス」という語に訳され、フランス語「art アール」、英語「art アート」、ドイツ語「Kunst クンスト」に引き継がれ、それらの言葉・概念が翻訳され、翻訳語としても用いられている概念である。さらに、現代英語の「art」が「技術」と訳されていることもあれば、「technique」という言葉が「技術」と訳されていることもあり、さらに、technologyという言葉も「技術」と訳されることもあるので、その意味でも多様に用いられている。 そもそも《技術》の歴史というのを考えてみると、技術の誕生は人類の誕生と同じくらいに古い〔。《技術》は、人類が19世紀ころに科学を作るよりずっと以前から発生していた〔。 《技術》が科学と接近したのは、あくまで1870年代以降の話であって、その年代ころから欧米の先進国で、(富国強兵主義、殖産興業主義が世界中に広まってしまい、各国がさかんに軍備を競い他国を侵略し戦争犠牲者を多数うみだしていた問題だらけの時代に)政府が軍備拡張や産業振興のために自前で研究所を設置するようになったり、また(それ以前には皆無だった)“大企業”がこの世に登場し、それが物理学者や化学者を雇用するようになってからの話なのである〔。 西欧文化圏に属する人々は、西欧における長い《技術》の歴史も、西欧における長い《知識》(フィロソフィアやサイエンス)の歴史も、それぞれ別によく理解しており、別の概念として把握できている。だが、日本などの東アジアの人々には、ちょっとした歴史のめぐり合わせが原因で、それらの区別が困難になってしまった。日本などの東アジア諸国に西欧の近代科学が体系的な形で紹介されたのは19世紀後半になってからのことであったのだが、この19世紀後半は、たまたま運悪く(上述のごとく)ヨーロッパやアメリカでさかんに科学と技術を接近させ融合させようとしていた時期に合致し、東アジア諸国の人々は、そのように《技術》と《科学》一緒くたにされてしまった状態で、初めてそれらに出会い、それらを急いで導入しようとした結果、《技術》と《科学》の区別がうまくつけられなくなり、うまく識別できなくなってしまったことを、科学史や科学哲学を専門とする佐々木力も指摘している〔佐々木力『科学論入門』岩波書店、1996年、p.20〕。 日本では、(上述のように)科学と技術が融合したような独特の状態を区別する時は「科学技術」と表現されるようになった。欧米でアメリカのジャクソニアン・デモクラシー時代から「:en:technology」という言葉が人々に普及するようになり〔、日本人が「科学技術」と表現するような概念を表現するのにも用いられるようになった。(テクノロジーについては別記事で解説する) ドイツ語の語彙に「Technik テヒニーク」と「Techinologie テヒノロギー」があり、テヒニークは即物的なものに用い、テヒノロギーは「学問」の意味に使うことが多いものの、両者は必ずしも厳密に区別して使われているわけではない。さらに、英語の「technique テクニク」と「technology テクノロジー」では、しばしば混同され、それが翻訳されることによってさらに混線が生じ、日本語では英語でtechnologyと表現しているものを翻訳する時に、短く「技術」としてしまうこともしばしばである〔。普段は特には問題は生じないが、「《技術》とは何か?」という本質的な問題を論ずるときには、この混同・混線が原因で、しばしば混乱が生じている〔。 technologyの用法のひとつに、「技術学」(技術についての学問)として用いる用法がある。なお、技術学の中で技術を論じる場合には手段と能力とは明確に区別される。 ここでは学問における技術ではなく、一般的な技術について記述している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「技術」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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