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抱川市(ポチョンし)は大韓民国京畿道の北部にある市である。 == 歴史 == 高句麗時代には馬忽郡があった。新羅時代には堅城郡となり、統一新羅に入り青城郡と呼ばれた。 高麗時代、当初は抱州が置かれ、後に抱川郡となった。当時は楊広道に属した。 李氏朝鮮の太宗の代、1413年に抱川県となり、19世紀末に抱川郡となった。 * 1914年4月1日 - 郡面の統廃合により、永平郡が抱川郡に編入。抱川郡に以下の面が成立(12面)。 * 郡内面・加山面・内村面・蘇屹面・西面・新北面・青山面・永中面・蒼水面・永北面・一東面・二東面 * 1937年 - 西面が抱川面に改称(12面)。 * 1945年8月15日 - 米軍管理下に置かれる。ただし、永北面および青山面・蒼水面・永中面・二東面・一東面の各一部はソ連軍管理下に置かれる(南11面、北6面)。 * ソ軍政の管理下に置かれる抱川郡の地域をもって、永平郡を設置。 * 1945年11月4日 - 米軍政の下で行政区画を調整(南8面、北6面)。 * 青山面が蒼水面に編入。 * 永中面が新北面に編入。 * 二東面が一東面に編入。 * 1946年12月 - ソ連軍管理下の永平郡永中面・永北面・二東面・一東面が江原道鉄原郡に、青山面・蒼水面が江原道漣川郡にそれぞれ編入。ソ連軍管理下の永平郡は消滅(8面)。 * 1953年7月27日 - 朝鮮戦争休戦に伴い、38度線以北の青山面・永中面・永北面・二東面が韓国の統治区域となる。 * 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、38度線以北地域の施政権が回復。12面に戻る。 * 青山面・永中面・永北面・二東面の行政機能を復活。 * 1979年5月1日 - 抱川面が抱川邑に昇格(1邑11面)。 * 1983年2月15日(1邑12面) * 官仁面を漣川郡から移管。 * 青山面の半分が漣川郡に移管、残りの半分が新北面に編入。 * 内村面花峴出張所を花峴面に昇格。 * 1996年2月 - 蘇屹面が蘇屹邑に昇格(2邑11面)。 * 2003年10月19日 - 抱川郡が抱川市に昇格(1邑11面)。 * 抱川邑が2つの行政洞に分割。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「抱川市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pocheon 」があります。 スポンサード リンク
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