翻訳と辞書 |
押川公近[おしかわ きみちか] 押川 公近(おしかわ きみちか、元亀2年12月1日(1571年12月17日) - 寛永6年4月29日(1629年6月10日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。通称は、鬼三郎、弥七、六兵衛、郷兵衛(強兵衛とも)。押川対馬守の次男。兄は押川河内守。妻は浜田経重の娘。子は押川近尚。 == 生涯 == 元亀2年(1571年) 、押川対馬守の次男として生まれる。幼少の頃より力が強く水練に達者で、鉄砲の上手であった。一生の間に160人以上を撃ち取り、切り捨ては数知れずと記録される程の剛の者であった。祖父の押川讃岐守は、永禄7年(1564年)に島津義弘の飯野(宮崎県えびの市)入りに従った60人の内の一人で、父の対馬守は球磨との国境を守る番として大口に配された9人の内の一人。公近も祖父や父、兄と同様に義弘の家臣として仕えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「押川公近」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|