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「指名手配の男」(しめいてはいのおとこ、''The Case of the Man Who Was Wanted'')は、シャーロック・ホームズの登場する短編推理小説である。 コナン・ドイルの死後、遺品の中から原稿が発見され、当初は61番目のホームズものと信じられたが、後に建築家でアマチュア作家のアーサー・ホイティカーの原稿をドイルが買い取ったものと判明した。数あるホームズもののパスティーシュの中でも「外典」という特別な位置づけをされている。 == 経緯 == 1943年、コナン・ドイル伝を書くためにコナン・ドイルの残した書類を調査していた伝記作家ヘスキス・ピアソンは、“''The Man Who Was Wanted''”という標題のホームズの短編を発見した。ピアソンはこの原稿の内容を慎重に検討し、コナン・ドイルが書いたものだと判断した。伝記では次のように書いている。 :「この主人公をかくも長きにわたって維持することができたのは、また読者も最近のホームズ譚が初期作品に比べて遜色がないと見てくれているのは、私が無理に話を作りはしなかったからである」とドイルは書いている。この主張の裏付けとしては、私が彼の書類の調査中に発見したホームズ短編の完成稿をあげればよいだろう。未発表のこの原稿は“''The Man Who Was Wanted''”と題されている。確かに全体として水準には達していないが、冒頭の部分だけはドイルの名に恥じぬものであり、引用に値すると思う。」 ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝が評判になると、この「コナン・ドイルの未発表原稿」を読みたいという要望が高まった。 1948年、“''The Man Who Was Wanted''”はアメリカの「コスモポリタン」誌8月号に「長らく失われていたシャーロック・ホームズ譚」として発表された。英国では「サンデイ・ディスパッチ」誌1949年1月号に掲載された。いずれもコナン・ドイルの作品としてである。 一方、1945年にアーサー・ホイティカーというイギリス人が、実は自分が1910年に書いたものだと名乗り出ていた。ホイティカーはこの作品を書き上げ、共作の形で出版したいと考えてコナン・ドイルに送ったらしい。コナン・ドイルは共作を断り、代わりに10ギニーでプロットを買い取ると返事したものと見られる。ドイル財団はホイティカーの主張を認めようとせず、弁護士を立てての争いとなったが、ホイティカーがタイプ原稿のカーボンコピーと、コナン・ドイルからの「貴君のプロットを買い取りたい」という手紙を持っていたため、真贋騒動は解決した。 日本では、1952年月曜書房から刊行された「シャーロック・ホームズ全集第13巻」(延原謙訳)に、「這う男」、「獅子の鬣」、「覆面の下宿人」、「ショスコム荘」、「隠居絵具師」とともにコナン・ドイル作の「求むる男」として収録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「指名手配の男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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