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山田高塚古墳[やまだたかつかこふん]
山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)は、大阪府南河内郡太子町大字山田にある方墳。古墳時代末期の古墳である。 宮内庁により「磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)」として第33代推古天皇の陵に治定されている。 ==概要== 東西63m、南北56m、高さ12m、空壕幅7mの方墳で、古墳時代末期に造られたと見られる。『古事記』推古天皇条「御陵在大野岡上。後遷科長大陵也」と『日本書紀』推古天皇36年条「葬竹田皇子之陵」などの記述をもとに、息子の竹田皇子が眠る大野岡上陵(奈良県橿原市の植山古墳と治定)に合葬された後、竹田皇子とともに亡骸が遷された「科長大陵」が本古墳であると治定された。このため、被葬者は第33代天皇で、最初の女帝である推古天皇(欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)と竹田皇子で、古墳内部には二つの石室があると推定されている。平安時代に盗掘され、天皇陵墓を理由にして考古学の発掘調査も行われていないため、実態は判然としていない。 江戸時代後期には江戸幕府により、保全作業が行われた。また、1991年(平成3年)11月22日に、宮内庁の天皇陵保全事業の一環として、非公開で整備作業が行われた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田高塚古墳」の詳細全文を読む
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