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揚名介[ようめいのすけ] 揚名介(ようめいのすけ)とは、職掌及び給付のない名誉職としての国司の次官を意味する。特にその官職及び官職にある者を指す。 == 概要 == 年官年爵を有する者が、官職の給与を自らの所得とする一方、成功により叙位任官を求める者に対して官名のみ授けたため、この制度を活用して名誉職として官職に任ぜられる事例が生じた。これは単に「名を揚げる」だけで実を伴わない官職であったことから揚名(官)」と呼ばれた。後に財政の悪化に伴って揚名官として国司の介が任ぜられる事例が生じた。これによって生じた名誉職としての介を揚名介といった。『江談抄』には、揚名介の代表とされた山城介と水駅官(水駅の長〔水駅は「駅」と名乗っているが、馬は置かれずに代わりに船が設置されていた(つまり馬部が入っているのに馬がいない)。しかも、全国に数箇所しかなく、制度上も役には立たない制度であった。〕)を併記して名だけの存在の代表としている。なお、江戸時代の武家官位も名誉以上の権威を伴わないことから一種の揚名官であると言える。 ただし、揚名介には本来もう1つ意味があったという説もある。『薩戒記』によれば、応永33年(1426年)に、後小松上皇から「揚名介」の任国を尋ねられた中山定親(『薩戒記』著者)と常宗入道が、「山城・上野・上総・常陸・近江」を挙げたとされている。山城国は平安京(京都)の所在地であり、山城介は内蔵助とともに賀茂祭の行列に必ず随従する決まりがあった(『官職難儀』)。上野・上総・常陸は親王任国であり、介が現地において守の職務を代行する国であった。近江国も畿内以外でもっとも平安京に近い国として、しばしば参議・八省卿級の高官や天皇側近などが守を兼務〔著名な例として藤原仲麻呂・藤原種継・藤原緒嗣・秋篠安人・源信・源融・小野篁・藤原氏宗・春澄善縄・菅原是善・在原行平らが挙げられ、後に公卿・大臣に昇った人物も多い。〕して介が守の職務を代行した。つまり、いずれも実態を備えた名誉ある要職を指して(文字通り、一般の国の介とは違う名誉ある顕官という意味で)当初は「揚名介」という呼称が用いられていたと考えられている。 ところが、年官・年爵制度が横行して揚名官としての介が発生すると、両者の意味が混同され、結果的に本来の顕官であった揚名介も揚名官の介の一種として見られるようになったと考えられている。なお、『薩戒記』には著者・中山定親が後小松上皇からの質問を受けてその先例を調べた際に、鎌倉時代の一条家経が賀茂祭の山城介に向かって「揚名介が渡る」と口を滑らせてしまい、山城介が揚名介であるという秘事を漏らしたとして人々が騒然としたとする故事を伝聞記事として載せている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「揚名介」の詳細全文を読む
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