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東京陸軍刑務所飛行士焼死事件[とうきょうりくぐんけいむしょ ひこうし しょうしじけん] 東京陸軍刑務所飛行士焼死事件(とうきょうりくぐんけいむしょ ひこうし しょうしじけん)とは、第二次世界大戦中に起きた米兵捕虜の焼死事件。搭乗員焼死事件とも呼ばれる。 1945年5月25日夜から26日明朝にかけて470機のB29によってそれまで空襲を免れていた東京山の手に大規模な空襲が加えられた(死者3651名。焼失16万6千戸)。この空襲によって渋谷区の東京陸軍刑務所も被災し、収容されていた囚人のうち日本人囚人の約400名は救出されたが、ドゥーイン・L・ターナー中佐(B29に便乗、撃墜され捕虜)以下の米兵捕虜62名は救出されずに焼死した。また、この時逃れ出ようとした数名の米兵捕虜が日本人看守により斬殺されるという事件が起きたとされる。なお巣鴨法務委員会編「戦犯裁判の実相」では、看守は留置場の扉を開いて、米兵のうち23名を牢から出したが、塀に阻まれていたため逃げ場を失って焼死したものとしており、このような不可抗力であったとする見方も存在する。 1948年3月24日から7月8日にかけて行われた横浜軍事法廷におけるBC級戦犯裁判の結果、東京陸軍刑務所長の田代敏雄陸軍大尉が死刑(再審で懲役40年)、看守長の越川正男陸軍少尉が死刑(再審で懲役30年)、米兵を斬殺したとされる看守の大久保又一法曹長、神本啓二法軍曹、神戸初明法軍曹が死刑(ともに再審で懲役10年)の判決を受けた。 == 関連項目 ==
*東京大空襲
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京陸軍刑務所飛行士焼死事件」の詳細全文を読む
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