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摩天楼 健(まてんろう けん、1972年7月4日 - )とはかつて二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属していた元大相撲力士である。山形県西村山郡朝日町出身と公表していたが、3歳から入門前まではアメリカ合衆国ニューヨーク州で生活していた。本名・白田 健(しろた けん)。身長187cm、体重177kg(最重量時は190kg)、得意手は右四つ、寄り。最高位は東幕下12枚目(1997年夏場所)、趣味はスポーツ観戦。 == 来歴 == 食品業の長男として生まれ、3歳から入門前までをニューヨーク州で過ごし、高校時代はアメフトと重量挙げで鳴らしていたが、大学時代に負傷の影響でアメフトを諦めていたところに父が相撲を勧め、かくして当時「誰もが知っている」藤島部屋に入門することとなった。1991年7月場所に初土俵を迎え、本名の「白田」でデビューする。 2年足らずで新幕下に昇進したものの1993年3月に1番相撲から4連敗の後に途中休場を喫すると続く5月場所、7月場所を全休し、復帰した同年9月場所には序二段まで番付を下げていた。尚、パスポートは親方が預かっていたため休場中の帰郷は許されず、「静養のために」と試しに申し出ても「冗談でもそういう甘えたこと言うんじゃない!」激怒されて部屋で復帰を待つしかなかった。 復帰から1年余りの1994年9月場所に最高位を西幕下52枚目から西幕下48枚目まで更新して以降は、続く11月場所を西幕下38枚目、年が明けて1995年1月場所を東幕下29枚目、さらに翌3月場所を西幕下21枚目の地位で迎えるなど、4場所連続で最高位を更新する好調ぶりであった。1997年5月に自身最高位である東幕下12枚目の地位を得るが、以降同年11月場所まで負け越しが続き、1998年1月場所には三段目に陥落し、3年余り守り抜いた幕下の地位を手放すことになった。 心機一転して翌3月場所からは出身地にちなんだ摩天楼の四股名で土俵に上がったが、東幕下12枚目の地位を更新することは遂に無く、改名後は三段目が主戦場となっていった。2000年冬頃に申請したアメリカ合衆国の永住権の申請を機に引退準備を始めた影響で晩年は精彩を欠き、2002年5月場所に生涯最後の勝ち越しを記録すると引退準備に向けてそれまで180kg程度あった体重を140kgまでに減らし、2002年11月場所に序二段に陥落した末に翌年1月場所から3連続休場して2003年5月場所後に引退を迎える。だが2002年には既にアメリカでの永住権が発給されていたため、部屋関係者からは引き際を疑問視されたという。 二子山部屋は横綱2人、大関1人を輩出するなど、多くの名力士を育てきた反面、200kgを超える豊ノ海が三役・三賞ともに無縁に終わり、190kgの五剣山は十両止まり、177kgの藤ノ花は関取にすらなれないなど、重戦車型の巨漢力士は大成しない一面があり、190kgの摩天楼も同様に取的止まりで終わった。 帰国後はニューヨークで父が経営する輸入業に従事した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「摩天楼健」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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