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撫川城[なつかわじょう]
撫川城(なつかわじょう)は、岡山県岡山市北区にある日本の城跡。沼城(ぬまじょう)とも称される。江戸時代には同城の跡に撫川陣屋(なつかわじんや)が設けられた。 == 歴史 ==
===戦国時代=== 永禄2年(1559年) 備中国の三村家親が備前国の宇喜多直家に備える為に築かせたと伝えられている。 天正3年(1575年) 三村氏が、毛利氏に滅ぼされてからは毛利氏の出城となり、配下の井上有景が、この城を守備するようになる。 天正10年(1582年) 羽柴秀吉の備中高松城水攻めの際に、毛利方の国境防備の城「境目七城(冠山城、高松城、宮地山城、鴨庄城、日幡城、松島城、撫川城)」の一つとなり、城主の井上有景が800余人を率い守備する。この際、位置的に孤立した場所にあったため、吉川元春、小早川隆景に早々に撤退するように下命されていたが、有景はその命令に背き、羽柴軍との間で激戦が交わされた。その際に、井上有景の軍勢は羽柴軍に敗れ かの地は宇喜多氏の領有となり しばらくの間、当城は廃城となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「撫川城」の詳細全文を読む
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